自民党総裁であり新たに総理大臣になられた菅義偉(すが よしひで)総理大臣が注目を集めています。
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その菅義偉さんの経歴を調べると段ボール工場作業員とあります。
菅義偉総理は過去にそういうことをしてたんだと親しみを覚える方もいるのではないでしょうか。
そして、では菅義偉さんはどこの段ボール工場で働いていたんだろう?と気になりました。
ということで今回の記事ではその菅義偉さんが段ボール工場作業員として働いた工場はどこの会社の工場なのか調べてみようと思います!
菅義偉 若い頃過ごした職場でも成り上がった?
菅義偉さんは高校を卒業後の1976年3月、18歳の時に集団就職で上京しました。
上京した理由としては
- 姉や叔父、叔母などの親戚が教師だらけだったので教師だけにはなりたくなかった。
- 長男なので実家の農業を継がなければならなかったから
ということがあって「東京に行けば何かが変わる」と家出同然で上京したということです。
とにかくこのまま地元に残るのが嫌だったんでしょうね。
そして上京して就いた仕事が段ボール工場作業員だったということです。
しかし仕事に就いて2か月で辞めてしまいました。
段ボール工場で働いていても地元秋田にいた時と変わらないと感じてその厳しい現実に気付いたという事です。そしてどこかの大学に入らないとまずいと思い始めたそうです。
その2年後、仕事をしながら勉強し法政大学法学部政治学科に入学します。
この菅義偉さんの上京から法政大学入学までの一連の流れを見ると、その意思の強さを感じますね。
自分の想いに忠実というか。そういう所があったからその先官房長官の役職にまで昇り詰められたのかなと思いますね。
菅義偉 勤務したのはどこの段ボール工場?
では、菅義偉さんが務めた段ボール工場とはどこの段ボール工場なのでしょうか?
どこの段ボール工場だったのか突き止めるヒントとなるのが
- 東京都板橋区にあるということ
- 菅義偉さんが上京した1967年には設立されている工場ということ
この2点ですね。
この条件でネット上を調べてみたところ
いくつか条件に合う段ボール工場が見つかったのですがその中でも
株式会社志村製函所
という会社が一番条件的には有力なのではないかと思いました。
住所:〒174-0056 東京都板橋区志村1丁目19番地12
設立:昭和30年7月5日
今はまだネット上ではどこの段ボール工場で働いていたかの確実な情報は出てきていませんが、この先菅義偉さんの総裁選の結果次第ではその辺の情報も出てくることもあるかもしれませんので、はっきりした情報が分かり次第追記したいと思います。
菅義偉 勤めたのはどこの段ボール工場?若い頃過ごした職場でも成り上がった?まとめ
今回の記事では菅義偉さんが務めた段ボール工場はどこの会社の工場なのか調べてみました。
菅義偉さんは高校を卒業して地元秋田から上京し段ボール工場の作業員をしましたが、その経験は政治家として仕事をする上で財産ともいえるような経験なのではないかと思います。
そういう庶民的なところは一般庶民の気持ちが分かる政治家としてプラスにはたらくのではないかと思います。
とにかく総裁選に出馬するという事で菅義偉さんへの世間の関心が高まっていますので、私もこれからの菅義偉さんがどうなるのか、その動向に注目していきたいと思います!
それでは最後までお読みいただきありがとうございました!
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