今回は今話題の渋沢栄一について書こうと思います!
渋沢栄一といえば2021年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公ですね!そして2024年から導入される新紙幣の1万円札の顔になることが発表されています。
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まさに今大注目の歴史上の人物ですね。
そんな渋沢栄一ですがまだその認知度は低く、渋沢栄一ってどんな人?なにをした人?と疑問に思われる方も多いのではないでしょうか。
ということで今回の記事では渋沢栄一とはどんな人なのか?何をした人なのか?ということで渋沢の若い頃のエピソードや同世代の歴史上の人物との関連等をご紹介していきたいと思います!
渋沢栄一とはどんな人?愛玉力競を生み出した商売センスに驚愕!
※画像は渋沢栄一の実家
渋沢栄一は1840年に現在の埼玉県深谷市血洗島に渋沢家の長男として生まれます。
渋沢家は農作物やお米を育てるという農家の側面と藍染めの原料となる藍玉を売るという商人の側面も持っていました。
渋沢家は商人としての商売がうまくいきかなり裕福な農家だったということです。
渋沢も子供の頃から藍玉の原料となる藍葉の仕入れに連れて行かれたそうです。
14歳の頃には1人で仕入れをするようになっていたそうです。
その時の凄いエピソードがありまして…。
それは14歳の渋沢栄一が「藍玉力競」(あいだまちからきそい)というものを生み出したというのです。
これは通称、藍玉品質番付と言って藍葉を売る複数の店に番付けを付けたということなんです。
あの店は良質の藍葉を提供するから大関とか、あそこの店は前頭とか。
今でいうところのランキングを付けたということなんです。
食べログの評価みたいな感じですね(^^)
そして良い品質の藍葉は高く買うよと。逆に品質の悪い藍葉は低い値段でしか買い取らないよと打ち出しました。
そうなると藍葉の品質の悪い店はもっと良い藍葉を出そうと努力して仕入れ先全体の品質向上に繋がったそうです。
そうして渋沢は良質の藍葉を仕入れていったんです。
賢いですよね~。
この「藍玉力競」を若干14歳で生み出したエピソードは後年の渋沢栄一の大活躍を予感させるものがありますね。
渋沢栄一とはどんな人?倒幕思想を持ったきっかけとは?
渋沢栄一が17歳の時のエピソードです。
渋沢の父親がお代官様に呼び出されます。
しかしその時風邪を引いていた父の代わりに渋沢がお代官様に会いに行きます。
渋沢がお代官様に会いに行くと500両の御用金を用立ててほしいと言われます。
御用金とは江戸時代、藩などが財政窮乏を補うため臨時で農民、商人などに課した金の事で、通常の年貢の他に大金を出せというのです。
渋沢はその話は一度持ち帰り父に確認すると代官の申し出を断ります。
その日はそのまま帰りましたが結局、お上に逆らうのは良くないと500両は支払ったそうです。
この時渋沢栄一はとても腹を立てたそうです。
しっかり年貢を納めているのに御用金まで要求されて。
ろくでもない役人が威張りちらし農民を苦しめている。
こんな社会はおかしいと。
そしてこんな社会を作っている江戸幕府がおかしいのではないかと考え倒幕思想を持つようになります。
この事から渋沢栄一は筋の通らないことは許せない性格で、そしてその自分の考えを曲げずに貫く強い意志を持っているのが分かりますね。
現実の社会体制をぶっ潰して変えてやろうというんですから、自分の考えを貫くというのも規模の大きさが半端なものではないですよね。
渋沢栄一とはどんな人?同世代の歴史上の人物は誰?
渋沢栄一の生まれは江戸時代後期の天保11年2月13日(西暦1840年3月16日)です。
そう渋沢栄一は江戸時代に生まれているんです。
リアルに刀を差した武士がいる時代に生まれ生活していたのです。
そんな渋沢栄一のご実家は前述の通り武士の家ではなく農家でした。
農民から幕末の動乱を経て「日本の資本主義の父」と呼ばれるまでの偉人になります。
ではその渋沢と同世代の歴史上の偉人にはどのような人がいるのでしょうか?
見てみたいと思います!
こちらです
- 西郷隆盛:1828年生まれ
- 近藤勇:1834年生まれ
- 坂本龍馬:1836年生まれ
- 大隈重信:1838年生まれ
- 山県有朋:1838年生まれ
- 渋沢栄一:1840年生まれ
- 伊藤博文:1841年生まれ
- 陸奥宗光:1844年生まれ
- 東郷平八郎:1848年生まれ
- 乃木希典:1849年生まれ
見てくださいこの錚々(そうそう)たるメンバー。
西郷どんがいますね!
坂本龍馬とは4歳差です。龍馬の方が少しだけお兄さんという事ですね。
歴史好きな方が大好きな幕末の英雄達と同年代というだけでもスゲーとなりますよね。
そして渋沢の業績はその英雄達に引けを取らないものであり、今はまだ認知度が低いですが、これから西郷隆盛や坂本龍馬と肩を並べるくらい日本の歴史の人気者になれる要素がある人物なのです!
渋沢栄一とはどんな人?同世代の坂本龍馬との関係とは?
では渋沢栄一はどのような歴史上の人物との関わりがあったのでしょうか?
有名な所だと渋沢はあの徳川幕府最後の将軍徳川慶喜の家臣でした。
渋沢を大蔵官僚にヘッドハンティングしたのは早稲田大学の創始者として有名な大隈重信です。
それから官僚時代には西郷隆盛から国の政策についての相談を受けたりしています。
とにかく幕末に活躍した歴史上の人物達と大いに関わりを持っていたんです。
ではあの坂本龍馬とは何か接点はあるのでしょうか?
あるんです!
渋沢栄一は文久元年(1861年)の江戸遊学の時に北辰一刀流の千葉栄次郎の道場(お玉が池の千葉道場)に入門します。
その時坂本龍馬は北辰一刀流の桶町千葉道場の門人だったので渋沢と坂本龍馬は、千葉道場直系の兄弟弟子だったんです!
同門ということでどこかお茶屋ででも剣術の話に花を咲かせたかもしれませんね(^^)
渋沢栄一とは何した人?日本初の株式会社を設立
ではここからは渋沢栄一が何をした人なのか?という事でその業績や携わった仕事をご紹介していきたいと思います。
渋沢栄一は1869年1月に日本初の株式会社「商法会所」を設立しています。
渋沢は幕府がパリ万博に招待された際にフランスに同行していて、そこで資本主義社会や株式会社等様々なことを学びます。
そして帰国後その知識や経験を活かして「商法会所」を設立したという事です。
その「商法会所」はどういう会社だったのかというとお金を預かったり、事業者にお金を貸したり、米や肥料を売買したりと、銀行と会社を併せたような事をする会社でした。
そうして渋沢はヨーロッパで得た知識や経験を日本社会に還元しました。
資本主義社会の仕組みを日本に導入して日本の社会を豊かにしたいと考えたのですね。
渋沢栄一とは何した人?政府の官僚としての仕事
渋沢栄一は1969年10月(29歳)に「商法会所」での実績もあり、日本政府の大隈重信にヘッドハンティングされに大蔵省に入省します。
大蔵省でも渋沢はヨーロッパで得た知識や経験を活かして活躍をします。
それでは渋沢が大蔵省はどのような仕事をしたのか見ていきたいと思います。
こちら
- 郵便制度
- 廃藩置県
- 戸籍法
- 鉄道開業
- 地租改正
- 富岡製糸場
- 新貨幣・円
- 国立銀行条例の制定
私達が歴史の授業で学んだ有名な事に携わっていますね!
注目点としてはこの時に貨幣がそれまでの両から円に変わったということです。
へぇ~そうなんだ~という感じですよね。
それから渋沢はその後1873年(33歳)に大蔵省を辞めますが、辞める前に国立銀行条例を制定し、第一国立銀行設立の指導をしています。
ヨーロッパでの視察で銀行というものがとても大事であると考えていたんですね。
もともとヨーロッパでの経験から政府の側からというより民間の側から実業家として日本を盛り上げたいと考えていた渋沢は銀行作りのルールを確立し銀行とはどういうものか国民に示してから官僚を辞めています。
官僚の立場を最大限活かしてから辞めるあたり流石だなと思いますね。
渋沢栄一とは何した人?実業家として民間での仕事
※画像は第一国立銀行
大蔵省を辞めた後は実業家として生きていきます。
1873年(33歳)に大蔵省を辞めて1916年(76歳)に実業家を引退するまでの間に500社近くの企業の設立や育成に関わっています。
まずは退官2か月後に東京日本橋に日本で初めての銀行、第一国立銀行(現・みずほ銀行)を開業します。
その他有名な所だと
- 王子製紙(現・王子製紙)
- 東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)
- 帝国ホテル
- 東京証券取引所
- 麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)
- サッポロビール(現・サッポロホールディングス)
これらの会社の設立や育成に関わっています。
それから実業家としての活動と同時に約600の社会公共事業や民間外交などの社会貢献活動もしています。
設立に関わった施設としては
- 日本赤十字社
- 聖路加国際病院
等があります。
施設の設立や約600の社会公共事業や民間外交などの社会貢献活動というのは著書の『論語と算盤』にあるように渋沢栄一の1つの大きな理想といえますよね。
その社会貢献活動の規模の大きさから渋沢栄一という人物の社会的な大きさが分かりますよね。
渋沢栄一とは何した人?どんな人?同世代の坂本龍馬との関係とは?簡単に解説!まとめ
今回の記事では渋沢栄一とはどんな人だったのか?何をした人なのか?ということで、渋沢さんの若い頃のエピソードや同世代の歴史上の人物との関連等をご紹介してみました!
まとめると…
- 「藍玉力競」を生み出した=ビジネスセンスが良かった
- 社会に不満を感じ倒幕思想になる=筋を通す性格、強い意志がある
同世代の歴史上の人物には…。
- 西郷隆盛:1828年生まれ
- 近藤勇:1834年生まれ
- 坂本龍馬:1836年生まれ
- 大隈重信:1838年生まれ
- 山県有朋:1838年生まれ
- 渋沢栄一:1840年生まれ
- 伊藤博文:1841年生まれ
- 陸奥宗光:1844年生まれ
- 東郷平八郎:1848年生まれ
- 乃木希典:1849年生まれ
こちらの方達が渋沢栄一さんと同年代であることが分かりました。
渋沢はこれらの歴史上の人物達と同じ時代を生き、駆け抜けた人なんです。
何をした人なのか?というと
大蔵省の官僚として
- 郵便制度
- 廃藩置県
- 戸籍法
- 鉄道開業
- 地租改正
- 富岡製糸場の設立
- 新貨幣・円の制定
- 国立銀行条例の制定
これらの仕事に携わりました。
そして民間の実業家として
- 第一国立銀行(現・みずほ銀行)
- 王子製紙(現・王子製紙)
- 東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)
- 帝国ホテル
- 東京証券取引所
- 麒麟麦酒(現・キリンホールディングス)
- サッポロビール(現・サッポロホールディングス)
500社近くの会社の設立や育成に携わりました。
そして多くの社会公共事業や民間外交をしています。
- 日本赤十字社
- 聖路加国際病院
等の施設の設立に関わっています。
これら社会公共事業や民間外交・施設の設立に携わり社会貢献活動をされました。
とにかく日本の近代化の為にその才能を遺憾なく発揮したという感じですね!
これだけたくさんの事業に関わっていると普通ならお金絡みの汚職とかありそうなものですが渋沢栄一にはそういう話は一切ないんです!
凄いことですよね!
そういう渋沢栄一だからこそ多くの人に尊敬され、今注目されているのかもしれません。
その渋沢栄一は幕末という激動の時代を駆け抜けた英雄達に混じって勤皇の志士としてその時代を駆け抜けました。
その渋沢の生き様を描いたドラマ「青天を衝け」が2021年から始まります。そこで渋沢と幕末の英雄達との関わりがどのように描かれるのか今から楽しみです!
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それでは最後までお読みいただきありがとうございました!
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